ヤングセミナー

【レポート】人間塾2024年度第22回ヤングセミナー

2025年2月14日

去る2025年2月6日に、第22回のヤングセミナーを開催いたしました。セミナーの開催も、数えること、あとわずかです。残りの日々の中で、人間塾の本質的な教育理念を少しでも伝えたいと思っています。今回のテーマは、「苦悩」についてです。

レポーターは第12期生の村田裕真です。是非ご一読ください。

塾長・仲野好重

第12期生 村田裕真
(慶應義塾大学4年)

2月6日に、第22回目のセミナーが開催されました。修了生である第10期生の高瀬玲也さんと第11期生の橋沼黎さんが、セミナーにいらっしゃいました。セミナーのテーマは、「苦悩について」でした。

まず塾長は、私たちが、苦悩に対してどのような意識を持っているかについて、問題提起されました。塾長は「生きることは苦しみや悩みの連続であり、私たちは生まれたときから苦しむこと、悩むことが付きまとっている存在である」とおっしゃいました。

つまり、我々が苦悩そのものについて問題意識を持っていても、それは生きていく上で必然的な前提条件であるから、苦悩そのものに真っすぐと向き合わなくてはならない、ということです。また塾長は、「私たちの問題は、何のために苦しむかという答えが見つからないことにある」とおっしゃいました。塾長は、私たちが「何か意味のあること」のために苦しんでいるとお考えになります。その「意味がある」ということ自体を信じずに、苦悩から目を背けることが問題だというのです。

人間塾2024年度ヤングセミナー:苦悩とは何か

苦悩とは何か

塾長は、世の中の多くの人が自身の苦悩と向き合わず、ニヒリズムに陥っているとお考えです。塾長のおっしゃるニヒリズムとは、存在の意味を否定する考え方のことです。例えば、「勉強を頑張ったところで役に立たない。そこには何の意味もないから」「一生懸命に働いても評価されないのだから、精一杯やることには意味はない」といった考えがそれに当たります。塾長は、ニヒリズムの対概念として、実存主義を挙げられました。実存主義とは、「私たちには存在する理由がある」と信じ、存在の意味を探求し続ける考え方です。

さらに塾長は、「私たちは苦悩がなければ成熟しない。人生は一回限りで唯一無二のものであるからこそ大切なのです。その大切な人生において、私たちは成熟しなくてはならない」とおっしゃいました。

別の回のセミナーの話になりますが、塾長は「辛いこと、苦しいことに直面しなければ、奥行きのない平面的な人生になる」ともおっしゃったことがありました。私たちは、成熟し立体的な人生を送るために、苦悩を受け入れる必要があるのです。

人間塾2024年度ヤングセミナー:私の使命は教育です

私の使命は教育です

塾長は、苦悩の中に、何のために生きているのかを知るヒントがあるとお考えになります。また、ありのままの自分を受け入れ、苦悩を乗り越えながら、自分にとっての真実を見つけたときに「軸」ができ、行動の判断基準が出来上がっていくと、塾長はお考えです。

塾長は今回のセミナーで明言されていませんが、私は、今回のセミナーで語られた「人生における目的」と「使命」が同義である、と思いました。使命とは、何のために生きているのかという、すぐに答えがでない問いに向き合うことで得た自分の役割のことを指します。

塾生は、自分が何のために苦悩しているのか、自分の使命は何なのかについて考えるために、楽なことに逃げず、苦悩を受け入れる義務があります。このことは、心に余裕がなくてはできないことなので、息抜きすることは大切ですが、私は息抜きをする時間が多く、まだ楽なことに逃げていたところがあったと気付きました。塾生として、自分の欠点を見つめ、使命を探求し、それについてある程度まで考えることはしていましたが、十分に突き詰めては考えられていませんでした。これから実施される「まとめ合宿」に向けて、今まで考えていたことを突き詰めていく決心がつきました。

人間塾2024年度ヤングセミナー:留学前最後のセミナー

留学前最後のセミナー

セミナーの終盤で塾長は、「私たちは存在していることに責任を持つ必要がある」とおっしゃいました。塾長は、私たちには「したこと」だけでなく、「しなかったこと」にも責任が生じるとお考えです。また、国連難民高等弁務官であった緒方貞子さんの言葉を引用して、「知ってしまったのに何もしないことは無責任なことである」と塾長はおっしゃいました。戦争が離れた地で行われていることを知りながら、戦争が行われている現状をより良くするための行動をしないことは、戦争を停戦させようと行動することよりも責任が重い、ということであると思います。

もしある人が選択をすることができるのであれば、そこには自由が生じますが、どちらかを選択したとき、選択しなかったことにも責任が生じてしまうのです。このことは、自由であることが持つ「不自由さ」の本質を示していると思います。だからこそ私たちは、何が正しいのかを自身で考え、その価値観に基づき後悔しない選択をすることが重要なのだと思います。

何が正しいかを考えるためには、単一の情報だけでなく、同じ内容を扱った複数の情報源を精査し、様々な立場を踏まえたうえで物事を批判的に検討してみることが必要なのではないでしょうか。今後、さまざまな情報に接する時には、そのように行えるよう意識してまいります。



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