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【レポート】人間塾2024年度 人間塾まとめ合宿 第一日目
2025年3月6日
2025年2月22日から24日まで、人間塾の恒例行事である「まとめ合宿」を静岡県裾野市の研修施設をお借りして実施いたしました。
全塾生が、電子機器(パソコンやスマートフォンなど)のすべてを手放して、広大な自然の中で三日間を過ごします。おまけに、研修施設には講義室以外では沈黙で過ごす決まりがあります。このような経験は今の塾生たちには本当に尊い経験になると思います。
第一日目のレポーターは、第13期生の馬部壮太良です。是非ご一読ください。
塾長・仲野好重
人間塾第13期生 馬部壮太良
(国際基督教大学 2年)
去る2025年2月22日、静岡県裾野市の豊かな自然の中で、まとめ合宿の一日目が始まりました。塾生は、不二聖心の中にある黙想の家で、自分自身と向き合い、内面を深く掘り下げる経験をしました。黙想の家では、講義室以外では沈黙で過ごすことになっており、そのお陰で自分と対話する時間を取ることができました。
まとめ合宿とは、人間塾での一年間の学びを振り返り、今後の自分の課題を明確にする合宿です。また、修了予定の塾生にとっては、社会へ出る前に自分を徹底的に見つめ直す合宿です。私は合宿に参加するにあたり、自分の考えをうまく伝えられるか心配していたため、大変緊張していました。しかし、不二聖心の敷地の中に足を一歩踏み入れると、豊かな自然が目前に広がっており、緊張がほぐれ、気持ちよく合宿に臨むことができました。
まず、オリエンテーションでは、仲野塾長が黙想の家の歴史についてお話しくださいました。この裾野の地は、銀行家であった岩下清周が開拓した不二農園が前身だそうです。岩下清周は、北浜銀行の頭取として当時としては珍しく、起業に積極的な出資を行い、関西の経済発展に尽力した人物です。原敬が政界で実力を持っていた時期に、原とも親しかった岩下は政権闘争に巻き込まれ、北浜銀行は倒産の危機に追い込まれます。政財界を追われることになった岩下は、隠遁生活を送っていましたが、彼の友人たちがこの裾野の荒れた土地を岩下に贈ったのだそうです。
岩下は実業家から農夫に転身しました。裾野の土地を耕し、不二農園を作り、そこに集まった家族たちと土に触れる生活をしました。そして、その家族の子どもたちのために「温情舎」という学校を設立しました。それがもととなり、現在の不二聖心女子学院へとつながっています。私は岩下の人生を聞き、この不二聖心のある裾野という場所は、人々の愛によって作られているように感じました。
最初のセッションでは、人間塾での一年間の学びを振り返りました。最近の大学生は充実した大学生活の経験を、大学時代を「駆け抜ける」と表現します。塾長はこの「駆け抜ける」という言葉を使ってはいけません、と仰いました。なぜならば、駆け抜けるということは、何も考えず、ただ走り抜けてしまう可能性があるからです。大学生活をより有意義なものにするためには、塾生たちは、この合宿において、一度立ち止まり、深く自分を見つめて、振り返ることをしなくてはならないと塾長は言われました。
セッションとセッションの間には、自分自身に向き合うために、黙想や散策のような「一人になる時間」が設けられています。塾長から「あなたはどこから来たのか?」「あなたはどこへ行くのか?」と問いが投げかけられ、塾生たちはその問いの答えを見つけようと、自分自身に向き合わざるを得なくなります。
また、塾長の書かれた「人間塾ノオト」を使って、さらに思考を深めていきます。そこには、「どんなことをするためにこの世界に生まれてきたのか」「自分以外で将来に一番大切なものはなにか」などの質問が書かれています。私たち塾生は、この「人間塾ノオト」をもとに、広大な自然の中で自分自身と向き合い、問いの答えを探し続けました。そして散策の時間が終わると、再び講義室に戻って、互いの考えを分かち合いました。
私が、黙想の時間に考えて紙に書いたことは、サッカーの経験ばかりでした。自分自身を語る時もサッカーの経験談しか話せず、サッカーに執着している自分がいました。雄大な自然を前に、私は自分の思考をクリアにして、考えを巡らせるようにしました。前述したサッカーへの執着も、その結果としての大きな気づきであったと思います。
合宿一日目では、黙想や散策、セッションを通して、自分自身との対話を重ねました。私にとって、一年間の学びを一言でいうと、「無知の知」を知ることだったと思います。自分が世界の大きさや広さを知らず、どれだけ視野の狭い世界で生きてきたのかを思い知りました。現在の私の心境は、白紙一枚になって全てを吸収するつもりで、自分自身の弱さと向き合わなくてはならない、ということです。富士山に見守られた裾野の地でのこの時間が、将来の大きな一歩であることを信じて学び続けます。