ヤングセミナー

【レポート】人間塾2024年度 芸術鑑賞

2024年9月27日

去る2024年9月16日に、東京・初台にある新国立劇場にて、芸術鑑賞の機会を得ました。

人間塾の修了生である第10期生の福田さんが、国立劇場に勤めているご縁から、今回の催しを紹介していただきました。同じ演目を、歌舞伎と文楽の二つの伝統芸術で鑑賞するという趣向です。塾生たちの中には、生まれて初めて歌舞伎を見る者もおりましたが、特に文楽に触れる機会は多くないようで、ほとんどの塾生にとっては初めての文楽体験でした。この日は、歌舞伎においても文楽においても、出演者による分かり易い解説の時間が設けられておりました。芸術の秋を感じる一日となりました。

今回のレポーターは、第12期生の佐々木果音と、同じく第12期生の村田裕真です。是非ご一読ください。

塾長・仲野好重

人間塾 第12期生 佐々木果音
(国際基督教大学大学院)
人間塾 第12期生 村田裕真
(慶應義塾大学)

去る9月16日、新国立劇場にて、「夏祭浪花鑑」(なつまつりなにわかがみ)を歌舞伎と文楽で鑑賞しました。国立劇場にお勤めの修了生が勧めてくださり、歌舞伎と文楽という異なる伝統芸術を通して同じ演目を鑑賞するという貴重な機会に、塾生たちはこの日を心待ちにしていました。今回の公演は、初めて伝統芸能を鑑賞する方や外国の方でも楽しめる工夫が凝らされており、私たち塾生も内容を理解しながら楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

人間塾2024年度 芸術鑑賞:間もなく開演です

間もなく開演です

「夏祭浪花鑑」は、大阪の高津神社を舞台に、夏祭りの宵宮の日に起こる事件を描いています。団七は義父・義平次が琴浦をかどわかし、彼女を別の男性に売ろうとしていることを知り、琴浦を取り戻そうとしますが、義平次は耳を貸しません。やむを得ず団七は大金を渡すと偽って琴浦を救い出しますが、騙されたことに気づいた義平次は怒り狂い、団七を罵倒し挑発します。親を斬れば死罪になるため、団七は必死に諌めようとしますが、誤って義平次の肩を斬ってしまいます。「親殺し」という義平次の言葉に覚悟を決めた団七は、ついに彼を刺し、罪の重さを感じながらも井戸で刀と自らの足に付いた血と泥を洗い流し、祭囃子の音とともに現れた神輿の群衆に紛れて姿を消すという、緊迫した結末でした。

今回の歌舞伎公演では、舞台に近い席をご用意いただき、大道具や小道具、背景画の精緻な美しさを間近で味わうことができました。また、俳優の方々の表情、指先からつま先までの細やかな動きを細部まで観ることもできました。特に「見得」の瞬間の表情の変化は、一つ一つが感情の凝縮であるように感じられ、その瞬間に込められた「力」に圧倒されました。団七と義平次が揉み合う場面では泥が、また団七が血と泥を洗い流す場面では実際に水が使用され、演出の多彩さにも驚かされました。さらに、俳優の方々の動きに伴う舞台の振動が肌で感じられ、歌舞伎の迫力に圧倒されたことも忘れがたい体験でした。鑑賞後、塾生たちは興奮冷めやらぬ様子で、開口一番に「面白かった」と口々に話していました。古典でありながらも現代に通ずる普遍性を持つ歌舞伎には、現代を生きる私たちに深く訴えかける力があるのだと改めて感じました。(佐々木果音)

歌舞伎を観た後は、文楽を観ました。文楽とは、義太夫節と近松門左衛門に代表されるような作家の描いた作品を合わせた人形浄瑠璃のことです。義太夫節とは、創設者である竹本義太夫の名を冠した浄瑠璃の一種で、語りを行う太夫(たゆう)と三味線の奏者がステージ右側で行う劇場音楽のことを指します。

人間塾2024年度 芸術鑑賞:文楽で使われる人形

文楽で使われる人形

「文楽は、太夫、三味線、人形の三つの要素から成り立っています。中でも人形の操られ方には目を見張るものがありました。主要な登場人物の人形は、一体につき三人で操られます。一人の人間に見立てた人形を、三人が息を合わせて動かすことは、想像するだけでも困難なことに思えますが、その困難さを感じさせない洗練された、かつ躍動感ある動きが印象的でした。また、人形には様々な仕掛けが凝らされており、心情が最も表れやすい首(かしら)は、人形遣いが人形の背中の空洞部分から手を入れ胴串という棒状の部品を操作することで、視線、眉、口、頭の角度を変化させており、生身の人間と遜色ない雰囲気を醸し出していました。太夫の魂のこもった語りも印象的で、たった一人で複数の登場人物と複雑な心情を表現するために、声の抑揚と発声を変化させ、怒りの感情が表現されるときの逼迫感には心理的に圧倒されました。

人間塾2024年度 芸術鑑賞:鑑賞を終えて

鑑賞を終えて

今回は、同一作品を異なる伝統芸能から鑑賞することで、それぞれの良さを発見することができました。歌舞伎では、生身の人間がそれぞれ登場人物になりきり、私達が日頃生活している三次元的な世界観がまざまざと感じられます。歌舞伎独自が持つ見得の演技、演出の多様さ、台詞の聞き取りやすさなどから、その世界観に没入し面白さを感じることができます。一方で文楽は、人形によって誇張された人間らしさ、太夫が台詞だけに専念するが故に生まれる洗練された声の表現、仕掛けにおける工夫などから、独特かつ突出した芸術性を感じました。

塾生は普段関わることの少ない伝統芸能に触れて、感受性の幅が広がったことと思います。改めて、このような機会をご提供いただきありがとうございました。(村田裕真)



トップ
トップ