ヤングセミナー
【レポート】人間塾2019年度第19回ヤングセミナー
2020年2月17日
人間塾 第7期生 藤原涼香
(東京慈恵会医科大学3年)
2020年2月6日、第19回ヤングセミナーが行われました。
今回のセミナーでは、日本で初めて東京でのオリンピック招致を成功させた嘉納治五郎の歴史と、彼の生き方や想いについて学びました。
嘉納治五郎は、現在の講道館柔道を創始した、「柔道の父」として知られる人物です。嘉納は柔道のみならず、水泳や長距離走、テニスやサッカーといった体育教育も大変熱心に行いました。東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長を務めた際には、中国から7000人にのぼる留学生を受け入れ、彼らにも体育やスポーツ、柔道を積極的に教えていたといわれています。
彼がこれほど熱心に体育教育を行った背景には、ある想いがありました。
それは、「体育は身体を強くするだけでなく、自他ともに道徳を高めることができ、人間の幸せに繋がる」というものです。この考えには、年齢や性別、国境は関係ありませんでした。嘉納は、柔道や体育活動で得た道徳的な価値が、社会活動でも実践されるべきだと考えていました。
彼の想いは、近代オリンピックの創設者で、当時IOC(国際オリンピック委員会)会長であったクーベルタン男爵の目に留まります。クーベルタンは、嘉納のようにスポーツによる教育に熱心な人物を求めていたのです。オリンピックの理念と彼の体育教育における考えが一致していたことから、嘉納は日本人として初めてIOC委員に就任しました。
IOC委員に就任してから、嘉納はオリンピック・ムーブメントに積極的に関わりました。世界中を駆け回り、日本という国の魅力を人々に伝え、日本でオリンピックを開催することの意義を広めていきます。当時、オリンピックは欧米を中心とした競技大会でした。嘉納は、オリンピックを世界中の人々が心待ちにするような世界の文化にするために、欧米ではなく日本で開催することが重要なのだと説きました。彼の熱意や演説は多くの人々の心を動かし、1940年オリンピックを東京に招致することが決定したのです。
しかし、1938年、嘉納はバンクーバーから日本へ向かう帰路で亡くなります。その後、1940年に予定された東京オリンピックは、日中戦争のあおりを受けて開催が中止されてしまいました。嘉納の夢は、“幻の東京オリンピック”に終わってしまったのです。
仲野塾長は、嘉納が体育・スポーツを通して人間の内面的な発達を目指し、社会に活かそうとしていた点に着目されました。人間的な成長を通し世界の平和に貢献するという考えは、人間塾の「よりよい社会の構築のために自らの能力を惜しみなく活用する人物を育てる」という理念にも共通しているからです。
スポーツはルールさえ知っていれば、国籍や言葉も関係なく、世界中の人々と共に競技し楽しむことができます。嘉納は、オリンピックが世界の文化となることは、国際平和と国際親善に結び付くと考え、命をかけて東京オリンピック招致を行いました。
塾長は、「近年のオリンピックは政治と結びつき、経済活動に走りがちだが、嘉納の想いこそオリンピックの原点である」と述べられました。
今年は、1964年以来、56年ぶりに日本でオリンピックが開催されます。2020年東京オリンピックの招致活動では、人間塾にもご縁のある水野正人氏が招致委員会の専務理事を務められ、東京オリンピックの実現に尽力されました。
このセミナーを通し、先人の努力や招致に関わった方々の強い想いにより、2020年の東京オリンピックが開催されるのだと知りました、現在の世界の情勢に目を向けてみると、争いや分裂が目立ちます。この時代において、世界中の人々がスポーツを通して繋がり、真の意味において、一つになれる国際大会の意義と重要性を改めて認識することができました。