ヤングセミナー
【レポート】人間塾2016年度第20回ヤングセミナー
2017年3月2日
人間塾 第5期生 臼井文貴
(慶応義塾大学2年)
去る2月23日、第20回目のヤングセミナーが開催されました。今回は聖書の一節(マタイ福音書)を例に挙げて、分け隔てない愛の重要さについてのお話をお聞きしました。
マタイ福音書には、「だれかがあなたの右頬を打つなら、左頬をも向けなさい」という言葉があります。これは、いかに他人に酷いことをされようが、裏切られようが、愛することを止めてはいけないということだと、塾長はおっしゃいました。何故なら他人に愛を与えるということは、その人に希望を与えるということだからです。愛されることでその人の人生に希望がうまれます。その希望はその人に、将来自分もまた誰かの為に生きたいと思わせることができます。
私自身、人間塾から愛を頂くことで、心を落ち着かせて悩んだり学んだりする環境を手に入れました。それは私にとって希望を持つことと同じでした。もしその愛がなければ、私は今でも以前のように心がすさみ、何故自分だけこんなに苦労しなくてはならないのだろうか、と考えていたかもしれません。愛を認識し、希望を持った今、勉強がしたいのにできない子どもに対して何か自分のできることをしてあげたい、という気持ちが湧いてきました。非常に功利的だった自分がそのように考え方を変えたことから、愛が生む希望という力の大きさに気付かされました。また、愛は希望を介して連鎖するのだな、と肌で感じています。その連鎖の中で社会が作られ、人間の日々の営みが行われれば、それは非常に幸せな社会だと思います。
また、塾長は「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」という一節についても説明されました。塾長は、天の父を「大自然」だと解釈したらどう見えてくるかと問われました。自然とは、何も加わらないありのままの姿であり、故に美しく、完全なのだとおっしゃいました。例えば桜の蕾も、花も、散っていく姿も、全てがありのままの形であり、それ故に美しいと私たちは思います。
この言葉に私はフランスの哲学者であるルソーがエミールという本で書いた「万物をつくる者の手を離れるときすべてはよいものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる」という文章を思い出しました。ルソーは、人間は生まれつき「pitie」と呼ばれる、苦しんでいる他者に対して哀れみ、慈しむ気持ちを持っていると言っています。しかし、人は成長して賢くなるにつれて、自己の利益を追い求め、そういった自然に湧き出るありのままの思いを失っていきます。
確かに他人が苦しむことを見て誰もが嫌だと感じます。それはとても自然なことです。しかし、現実世界では自国の利益の為に多くの血が流れてきましたし、これからも多くの人が犠牲になるでしょう。そのため、私はありのままの心を大事に、分け隔てなく愛を持って生きていきたいと思いました。それこそが、愛を持って私に接してくれた多くの方への恩返しになるのだと確信しているためです。