ヤングセミナー
【レポート】人間塾2015年度第10回ヤングセミナー
2015年10月2日
人間塾 第3期生 永井友理
(上智大学3年)
今回のセミナーの冒頭では、人間塾奨学金CM「夢をカタチに」の完成が報告され、塾生一同鑑賞しました。動画に登場する3人の塾生が、人間塾の井上和子奨学金に出会って以後、夢を存分に追いかけている姿が印象的です。彼らが生き生きと語る姿を見て、私もここで与えられたものに感謝しようと改めて感じました。また、この塾生たちと共にこれからも学んでいきたいと思いを新たにしました。
「あなたにとっての絶対的なもの、すなわち『神』のような存在とはなんですか」
仲野塾長のこの問いかけから始まった今回のセミナーは、普段深く考えることのない、「自分にとっての絶対的なもの」と向き合う時間となりました。どこにいても顔を出す自らの性分や、好きだと思う対象などといった答えが塾生から上がる中、塾長は仏教学者である鈴木大拙氏の「霊性」という言葉を引用されました。
「霊性」は物質と対立、相殺しあうものではなく、2つの間にあってそれらをつなぐものであると鈴木氏は示しました。例えば、国籍や文化や言葉といった物質的な違いを超えて2人の人間が結ばれたとき、その間にある友情や愛情こそが霊性であり、本当に深めるにはどこかで2人は融合し一つにならなくてはいけません。しかしあくまで2人は別々の存在。つまり、物質と精神は対立するものではなく、またそれぞれに独立して語れるものではないのです。ものごとを白か黒でしか見られないことは貧しいことであり、その間にある霊性の豊かさの中に生きることを問われました。
塾長は次に、霊性の特徴として鈴木氏の「大地性」「莫妄想」「無分別智」の3つの言葉を挙げられました。普段の立ち居振る舞いにその人の霊性がにじみ出るという「大地性」は、大地からエネルギーをもらうようにして生えている木の在り方と同じ。どのようにその人らしく生えているかが大切ですが、そこには品の良さや美しさ、たくましさといったいつの時代も変わらぬ普遍的価値があると説きます。
2つ目の「莫妄想」は目の前の現実を受けて様々に解釈すること、これらの妄想をすべて取り払ってみると物事の真髄があらわになり、霊性を表す一つの助けにもなると言います。
最後に「無分別智」。これは分別のないところの智、を指しています。ともすると世の中は二元論で回っており、0か1か、正か悪か、どちらかを選択できる人が「分別のある人」と捉えられがちです。しかし本当にそうなのでしょうか。塾長は、分別を取り除いた奥にあるものに目を向けることこそが霊性なのだとお話し下さいました。塾長はまた、安全保障関連法案の改正を例に挙げ、「賛成、反対の議論の奥にある『命』を見ること」を示してくださいました。私自身も、世の中の激しい流れや意見の対立ばかりに気を奪われ、この変化の奥にある真髄に気づくことができていませんでした。この例をきっかけに、自らを振り返ることができたと思います。
セミナーの終盤、「霊性を豊かに持ち、物事を深く考えられる人とそうではない人がいるのはなぜなのか」という塾生からの問いかけに塾長が答える場面がありました。塾長は質問した塾生の専門である宇宙分野を例に挙げ「星空を見て、ああきれいだな、で終わる人もいる。けれどあなたは、それでは満足できなくて、宇宙の研究者を志した。それと同じようなことです」とおっしゃいました。物事の表面だけを見ていても生きてはいけますが、それでは生きていけない、と感じてしまった人は後戻りできません。私も後者のような生き方ができれば幸せであると感じました。