講演会
【レポート】人間塾2022年度第三回東京講演会
2022年11月18日
2022年11月6日に第3回東京講演会を開催いたしました。
今回は、ハンナ・アーレントの全体主義に対する考察を中心にお話しいたしました。ユダヤ人の苦難の歴史を紹介し、第2次世界大戦での出来事、その後の国際社会における全体主義への考え方にも言及しました。
無思想性の怖さ、自分の頭で考え、心で感じ、意図をもって判断することの大切さについて、参加者の皆さんとご一緒に考える機会となりました。
今回のレポーターは第9期生の髙木菜夏です。
是非ご一読ください。
塾長・仲野好重
人間塾 第9期生 髙木菜夏
(武蔵野音楽大学4年)
去る11月6日、第3回東京講演会が開催されました。今回のテーマは「状況依存の中で揺れる責任と判断」です。
現代の社会は、一般的であると思われている「善の基準」が通用しないものへと変容してきています。そのような中で私たちに求められるのは、様々な道徳的価値について主体的に思考し続け、よりよい判断を下すということではないのでしょうか。そのような仲野塾長の問いかけから、今回の講演会が始まりました。
塾長は、シェイクスピアの喜劇や現代の国際情勢など、世界やその歴史を駆け巡りながら、ユダヤ人や「全体主義」にまつわるお話をしてくださいました。
ハンナ・アーレントの分析によると、この「全体主義」は19世紀以降、「大衆」という存在によって生み出されました。ここでの「大衆」とは、かつての階級社会から解放されて自由を得た人々です。しかし、その自由に伴う「自分で深く考えて判断し行動する」という責任を果たさないまま「長いものに巻かれる」人々を指しています。彼らは深く考えることをしなかったため、安直でわかりやすいイデオロギーに流され、「全体主義」を知らないうちに受容してしまったのです。
これを踏まえて、塾長は現代においてもこの「全体主義」が生まれる可能性があると仰いました。今日、社会には多くの不安が漂い、個人の結びつきは希薄になっています。すなわち私たちも、かつての「大衆」が求めたような、過多な情報にさらされ、安易な考えに陥る状況に置かれているのです。しかし、そうであるからこそ、私たちは「ためらい」をもって問題を直視し、「これで本当にいいのか」と常に自己に向かって問い直さなければならないと、塾長は話されました。
後半では、塾長はナチス親衛隊の幹部だったアドルフ・アイヒマンに言及され、思考停止に陥った人間の危険性について話されました。
当時、数百万ものユダヤ人の命を奪う指示を出した彼に対して、アーレントは、「どこにでもいそうなごく普通の人物」という印象を持ちました。彼は裁判の際に、「ナチスの制定した法を守る立場の人間として、その義務を立派に果たした」と主張したそうです。アーレントは、アイヒマンの罪状を追求する裁判を傍聴し、彼の人間性を分析しました。そして、ただ法を遵守するだけの凡庸なこの男のように、私たちも状況が変われば同じことをするかもしれないと論じました。
ナチスの全体主義は、人々に「無思想性」を生み付けました。アイヒマンは、自分で考えて自らの思想の涵養に努めるのではなく、単に義務に忠実であることを信念にしていたために、全体主義に埋没していきました。塾長は、「私たちに求められているのは盲目的服従ではない。良心や理性を駆使して物事を捉え、思いを巡らせて判断する自律性が重要である」と仰いました。「なぜそれをするのか?」を問い続けることが必要であり、考えること自体が我々に与えられた自由でもあるのです。
今回の塾長講演会を受け、私は「ためらい」を持って問題を直視し考えることを常に心掛けているか、と自問しました。
私は来年から社会人として、この世の中が少しでもよくなるように行動していきたいと考えています。しかし、慣れない状況に置かれた際に、「大衆」になっている瞬間がまだ私の中にはあります。また、忙しさゆえに、物事を深く考えずに「こなしてしまう」こともあります。そうならないためにも、その場その場の状況をじっくりと観察し、今の最善は何であるかを自分に問い続けながら生きることを習慣づけていきたいと思います。