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講演会

【レポート】平成30年度(2018年度)東京講演会第2回

2018年10月13日

人間塾 第7期生 藤原涼香
(慈恵会医科大学2年)

9月30日は、台風により開催が危ぶまれた平成30年度第2回東京講演会でしたが、何とか天気も持ちこたえ、多くの方々に来場していただきました。

今回の講演のテーマは、「ベンチャー魂と光風霽月~実業家で始まり農園主で終わった岩下清周~」です。

塾長先生はまず、人間塾とも親しみ深い静岡県裾野市にある不二聖心の歴史からお話されました。不二聖心の前身は温情舎小学校といい、岩下壮一神父がその初代校長を務めました。岩下壮一神父とは、今回のテーマとなっている岩下清周の長男です。温情舎小学校は、不二農園にいる子供たちのために設立されましたが、この農園こそ岩下清周が作ったものでした。

岩下清周は、大阪の北浜銀行の元頭取で衆議院議員も務める等、財力・権力・人脈すべてを手中に収めた人物でした。しかし、その晩年は、全財産を引き渡し、一時期収監され、何もなくなった状態で農園主となったのです。失脚した彼が自給自足のユートピアを作ろうと呼びかけると、全国から人が集まりました。不二の地はもともと火山灰が多い荒れた土地でしたが、懸命に開墾し、茶の栽培、畜産なども行われました。そうして、農園ができ、子どもたちの人口も増えたことにより、温情舎小学校が設立されました。時代の流れで農園はなくなってしまいましたが、小学校は残り、のちに不二聖心女子学院へと移り変わっていきます。

人間塾平成30年度東京講演会第2回:語りかける仲野塾長

語りかける仲野塾長

今回の講演は、この岩下清周にスポットを当て、彼の生涯をひも解きながら進められました。すべてを手に入れた人間が、すべてを失い、岩下家の跡取りもないまま命を終えました。そして、一方では、銀行家時代から多くの人々に手を差し伸べて、投資融資も人物本位で行いました。彼を慕う人はたくさんいましたが、彼を疎ましく思う人間も同じくらい存在していました。岩下清周は、なぜこのような価値観を持って生きることができたのでしょうか?

彼は1857年、信州に生まれ、幼少期に父親を亡くしています。叔父に引き取られるものの17歳で叔父も亡くなり、後見人を失ってしまいます。18歳で上京して、学業を終えたのち、三井物産に入社。アメリカやパリで勤務し、帰国後、会社に不満を抱いて退社。すぐに三井銀行に招かれます。しかし、岩下の強引な運営方針は首脳部を怒らせ、やがて会社を辞めさせられます。

しかし、その2年後には、藤田伝三郎らと北浜銀行を設立し、まもなく北浜銀行の頭取となります。海外での生活から岩下が学んだものは、日本が列強国の一つに躍り出るためには、工業立国となり、産業を振興することであると確信を持っていました。よって、彼は、北浜銀行にて人物本位の投資を行いました。彼の判定基準は、「どれだけ堅実な経営をしているのか。利益率はどれくらいなのか」ではなく、「どれだけ日本という国を豊かな国にしたいと思っているのか。どのような経営における信念を持った人物なのか」というものでした。
彼のもとには、他銀行では融資を断られたが将来性豊かな経営者たちが集まります。北浜銀行が投資あるいは融資した企業は、東洋紡、大阪ガス、大林組、森永製菓、阪急電鉄、西武鉄道等、枚挙にいとまがありませんが、いずれも、日本の経済を動かす大企業へと成長していきました。

しかし、1914年、大阪日日新聞に、「北浜銀行の経営は焦げ付いているらしい」といった悪意に満ちた記事が掲載されてしまいます。それがきっかけとなり取り付け騒ぎが起こります。経営不振に陥った北浜銀行は倒産し、岩下は私財をなげうって修復に努力しますが、長い裁判が始まってしまいます。10年以上の裁判ののち、彼は収監されることになります(恩赦により短期で釈放されます)。このような裏切られる経験を機に、彼の人生は大きく変わっていくことになります。

彼の口癖は、「100歩先の見える者は狂人扱いされる。50歩先の見える者は犠牲者となる。1歩先の見える者は成功者となり、現在も見えていないものは落伍者である。」というものです。そして塾長先生は、「岩下清周は、100歩先、50歩先を見据えていたのでしょう。だからこそ理解されにくく、逆に誤解され、嫉妬されて、悪意により失脚することになってしまった」と述べられました。しかし、岩下の人物本位に投資や融資を行い、その目的は、国の豊かさ、人民の生活水準の向上にあるという考えは、今の時代だからこそ、学ぶべき考え方であると思います。

人間塾平成30年度東京講演会第2回:各々考えを深める

各々考えを深める

締めくくりに、塾長先生は、「アンガジェ」と「アウトサイダー」という言葉を紹介されました。「アンガジェ」とは、フランス語で「関わる、関係する、つながる」という意味の言葉です。「アウトサイダー」はその逆で、「外側にいる人、批評家、傍観者」を指す言葉です。先生が学生の頃受けられた講義では、「あなたたちはアウトサイダーになってはいけない。アンガジェとして生きなさい」と教えられたそうです。アンガジェとして生きるとは、世の中の色々な出来事を自分のこととして受け止めるということです。アンガジェとして生きると、危険や苦しみが伴います。しかし、常に共につながっている仲間がいます。アウトサイダーは、損得勘定だけしか考えず、文句や不満は言うけれども、最後は動かない人間です。先生は、今の世の中にはアウトサイダーが多いことを危惧していると言っておられました。

最後に塾長先生は、「アンガジェでいるためには、意思が必要なのだ」と述べられました。関わろう、つながろうと常に思うことで、アンガジェとして生きることが可能になるのだと言います。アンガジェとして生きることは、人間塾での教えそのものです。世のため人のために自分の力を惜しまず使う。このような生き方の大切さに改めて気づかされた講義となりました。