講演会
【レポート】平成29年度(2017年度)第一回東京講演会
2017年6月10日
人間塾 第4期生 梅山翔平
(筑波大学5年)
2017年6月4日、初夏の訪れを感じる陽気の中、仲野塾長による第一回東京講演会が開催されました。今講演のテーマは『人生の価値と魂のゆらぎ~キリシタン大名・高山右近に学ぶ~』でした。
高山右近は戦国時代から江戸時代初期に生きたキリシタン大名の一人です。彼は人間塾ともご縁の深い小豆島にも足跡を残しており、キリシタン大名ながら親しみを感じました。2017年2月には没後400年を経て、ローマ・カトリック教会において列福されました(福者として認められること)。日本におけるキリスト教迫害の時代でも信仰を捨てずにキリシタンとして生き抜き、400年も経って後、列福されるに至った彼の人生はどのようなものだったのでしょうか。
高山右近は1552年大阪の豊能に生まれました。奈良県宇陀の沢城にて、宣教師との議論で論破され、その教えに感銘を受けた父と共に、12歳の時にキリスト教の洗礼を受けています。秀吉からの信任の厚かった右近は1585年に明石にて瀬戸内海の守備を任されることとなりますが、2年後キリスト教の拡大を恐れた秀吉によって禁教令が発令されてしまいます。秀吉は利休七哲の一人であった右近に利休を使者として立て、キリスト教を捨てるよう説得しますが、右近は次のように返答します。
『侍の所存は一度天に志して変えざるを以て丈夫とす、師君の命といえども今軽々しくこれを改めることは武士の本意に非ず』
侍として一度志した事は変えることはできないと要求を撥ね退けたのです。利休もこれには感服し右近の言葉をそのまま秀吉に伝えます。そして右近は領地を没収され、小豆島に潜伏します。その後は秀吉からの厳しい追及にもさほどあわず、前田利家に招かれて金沢にて26年間を過ごします。最終的には家康による本格的な禁教令が出された後、フィリピンのマニラに追放され40日後その生涯を、現地で閉じることになりました。
彼の人生は禁教令というどうにもならない逆境と共にありました。しかし、その中でも秀吉からは寛大な措置を受け、重用もされたようです。小豆島では隠棲中の身でありながら布教にも熱心だった記録も残っています。このように自らの志を貫き通した彼の信仰心の強さはどこから来たものなのでしょう。塾長はそれを今回の講演のテーマである『魂のゆらぎ』にあると仰いました。右近は1568年和田氏との争いで首から腹までの傷を負い、生死の境を彷徨いました。奇跡的に回復し、これをきっかけにより一層キリスト教に傾倒していきます。右近はこの経験により自分の人生を深く見つめ直したと考えられます。戦国の動乱の時代に生きて、確かな信仰を心の拠り所とすると決心したのです。これが棄教を迫る秀吉への確固とした返答に繋がったのです。
私達は社会に出ていく中で理想だけでは超える事の出来ない場面に多く遭遇することになります。悩み、苦しむ事もあるでしょう。つまり、私たちの魂は常に揺らいでいるのです。そんな時右近のように自分を深く見つめ直すことができるでしょうか。そして私達が行き詰まった時、右近の返答を少し変えて思い出してみなさいと塾長は仰いました。
『人間として一度志した道は変えることはできない。』
逆境の中、毅然として自分の信仰を貫き通し、人に愛され、長い時を経て列福されるまでに至った高山右近。彼の人生に自らの初心を貫き通す大切さを学んだ講演会となりました。