講演会
【レポート】平成27年度第一回東京3回シリーズ講演会
2015年8月24日
人間塾 第4期生 鷲見響
(立教大学2年)
蝉の鳴き声が一層激しさを増し、茹だるような暑さが続く8月1日、仲野好重塾長による今年度第一回目の講演会が行われました。今回の講演会のテーマは、「須賀敦子~内面的豊かさを誠実に生きる~」というものでした。須賀敦子は、イタリア文学の翻訳家であり、大学教授として活躍する傍ら、エッセイストとして数々の作品を発表した女性です。彼女はすでに亡くなっていますが、その作品は女性を中心に今もなお、読者を惹きつけてやまないといいます。塾長は、須賀敦子の魅力を次のように指摘しました。第一に、既成の出来事に対し懐疑する姿勢をもち続けていた点。第二に、美しい日本語を使いこなす名手であったということです。特に、現状維持に甘んじず、本当に変化は必要ないのかと常に懐疑する彼女の姿勢は、現代に生きる私たちにも通じるものであり、様々な問題に目を向け「揺れる」ことが大切なのだと言われました。
また、講演の後半で塾長は、須賀敦子の生き方に対し文化論のアプローチからの見解も述べられました。そのアプローチにおいてキーワードとなるのは、フランスの思想家・哲学者であるプルデューが現代社会の教育と社会階層に着目し生み出した「文化資本」という考え方でした。彼は、文化資本を「上品で正当とされる文化・教養・習慣」と定義し、更にそれは以下の三点に区分できると考えました。すなわち、①絵画や音楽、本などの「文化芸術にふれるもの」、②学歴や資格、御免状といった「制度が保障するもの」、③慣習、所作、マナー全般、センスなどの「体に染みついたもの」です。そして、この三点を挙げたのち、彼はこれらの中で最も重視すべきは文化芸術にふれること、つまり「文化的な財産」であるとしました。他の二つは、比較的誰にでも開かれたものですが、文化的な財産は、幼いころから継続的に触れないと育つことはなく、これを大切にしなければ人間としての真の豊かさは育たないと考えたためです。
ここで再び須賀敦子の人生に目を向けると、そこにはプルデューの考えと深く繋がっている点を見つけることができます。つまり、須賀敦子の父が世界一周旅行をした経験を折に触れて娘に聞かしていたこと、また、実家には様々な本があり読書することが習慣として彼女の生活に定着していたことなどは、プルデューのいう「文化資本」であり、それらに幼少期から慣れ親しんでいたことで、彼女は想像の種を膨らますことができたのです。
また偶然にも、彼女は若い頃在学した寄宿学校のマイヤー院長とのやり取りの中でも、そのような文化資本に触れることの重要性を再確認しています。そして、彼女はサンテグジュペリの「大切なのはどこかを目指すことだ。到着することではない。」という言葉を愛し、その言葉が示すように何を目指しているのかというプロセスを重視し、文化資本から得た豊かさに誠実に生きたと思われます。
学歴重視の現代社会において、これらの芸術に慣れ親しむことは比較的軽視される傾向にあり、その機会を積極的に求める学生も決して多くはありません。私自身も、以前より芸術的センスが乏しいと思い込んでいたため、これらの文化資本に慣れ親しむどころか、むしろ自分から遠ざけていたものの一つでもありました。しかし、センスは文化的な財に触れることが無ければ育つ可能性は大変低いと言わざるを得ません。これらの文化資本に触れる機会をもつことで、ようやく私たちは自らの内面を豊かにすることができるのです。
私たち塾生は、様々な方のご厚意で絵画や音楽の鑑賞や、推薦図書を教えていただく機会に恵まれています。今回の講演会をうけて、須賀敦子の生き方を通し、このような貴重な機会が自分には勿体ないほどに与えられているということを改めて自覚するとともに、それらに積極的に挑み、そこから得た豊かさに向きあうこと、理解すること、そしてそれが指し示す方向に向かって現状に甘んじることなく生きることの素晴らしさを学びました。
私が日頃参加しているヤングセミナーは、その受講者の中心は大学生であるため、通常は日が暮れた頃に開始となります。また、私個人としては、人間塾の塾生として講演会に参加させていただくことは今回が初めてでしたので、セミナー室に射し込む眩しい陽射しを感じながら塾長のお話を聞くことに少しばかり違和感も覚えました。しかし、最後列から、塾長が紡ぐ言葉に大きく頷かれたり、思わず感嘆の声を漏らされたりといった来場者の方々の反応を眺めることが非常に新鮮であり、尚且つ会場全体から感じられる「一体感」の中に私自身もいるということを実感し、素直に嬉しく思いました。また、セミナーのように、塾長から聴衆に意見を求めるという形式ではありませんでしたが、初めてお目にかかるような方とも、塾長の語りを通じて同じテーマについて考えを深める時間を共有することができるということが、講演会ならではの魅力ではないかと感じました。