講演会
【ご報告】臨済宗大本山・円覚寺夏期講座での講演
2014年8月14日
人間塾 塾長 仲野好重
2014年7月19日(土)午前8時に、私仲野と壺井事務局長は、北鎌倉の名刹、円覚寺へ到着いたしました。8時半から円覚寺管長の横田南嶺先生の講話が始まるということで、会場である大方丈はすでに超満員でした。講師の姿を見ることができない、別室にも廊下にも境内のあちこちにも、受講者の皆さんが陣取っておられ、その熱心さにまず驚きました。
当日は、約900名の受講者がお集まりであったと後で伺いましたが、人の熱気とパワーはすごいもので、体力に自信のある私も参加者の「気」を全身に受けている体験をいたしました。
さて、横田管長様のお話しは、明快で温かく、禅の教えを身近な例をひも解きながら解説されていました。笑いあり、考え込む表情ありで、参加者の皆さんが一言も漏らさず聞きたい、と思っておられる気持ちが溢れる講話でした。
9時45分から1時間15分の講話を許された私は、大方丈の前に立ち、まずこの会場に入った時の感動から話し始めました。私が後ろの入口から講師席へ歩いてくる間、900人の参加者の皆さんは読経しておられました。経を読む声明の中を、私は何メートルか歩いて入ってきたのです。その厳かさ。そのそこから響く力強さ。時折、ゴーンと鐘を打つ音が聞こえます。私は、たくさんの違いを持った人間900人が、その違いを超え、声をあわせることで一つになっていく、一つのうねりになっていくような錯覚を覚えました。大きな感動でした。
さて、私のその後の講話の内容は、いつものように脱線しつつも、おおむね喜んで頂いたようです。講話終了後、たくさんの方にお声をかけて頂き、「使命とは命を使い切ることと学びました。今日からどのように使い切るのか真剣に向き合ってみたいです」と言ってくださる方もおられました。また、「縁のお話しを聞いて、そんなに生やさしいものではないことを再認識しました」とのお声も聞かせていただきました。
「縁」の話はこのような内容で語りました。
「私たちはよく『これはご縁のものだから』とか『縁に感謝します』と口にしますが、縁というのはそのようなほんわかとした、包み込むような優しいものではありません。私にとって『縁』とは、もう後には戻れないような決定的な出会いをもたらすものであり、その方向性の方へ歩くしかないと思わせる原動力です。決してロマンティックな代物ではないのです。止むに止まれぬ、ただひたすらに進むしかないような、私自身をそういう気持ちにかきたてるものなのです」と。
私にとって初めての禅寺における講演会でしたが、心の中で欲するところはみんな同じであるように感じました。今の生き方のままで良いのか、もっと心安らかに行きたいがどうすればよいのか、苦しみや悲しみから脱却するには心の持ち方をどう変えればよいのか・・・。私には、人間塾でいつも語っていることに尽きるような気がします。人と人が結ばれ、自分のためだけではなく人のためにも自分の命を使うこと。そして本当の人間同志のつながり、共に生きることの素晴らしさを知ったら、きっと人は誰でも幸せを感じることでしょう。
最後に大本山・円覚寺の管長先生をはじめ、関係者の皆様、本当にありがとうございました。またこのご縁を結んでくださった、人間塾の村木享子理事ならびに村木桂子様、心より感謝を申し上げます。
【円覚寺について】
鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されました。詳しくはHPをご覧ください。
*円覚寺サイト:http://www.engakuji.or.jp/about.html