心に響く 講演・セミナー集
生きて、燃えて~その2~
当時、彼女に初めてお会いした時、彼女は95歳でした。
104歳の時、自宅で82歳の娘に看取られて亡くなられましたが、大往生です。
この方は103歳まで、なんと、お家のお炊事を全部していました。
そして彼女の娘はというと、一番得意なものがお風呂の掃除だったんです。
82歳の娘は104歳の親を生かさなければと思っているから、
ピーンシャーンなんです!!
そんな親子のところへインタビューに行ったのですが、
もう本当にものすごいエネルギーで、
こちらが元気になるくらいパワーに溢れていました。
お話しされることが、本当にずばずば来るんです。
その方にかかれば、私も、
「40歳そこらでそんなこと言っても甘い」と言われる。
そして、「95年も生きたら見えてくるものがある。
あなたはまだ50年以上かかるわよ」と言われました。
95歳になって、やっと見えてきたものがあると言うのです。

最後にお目にかかったのは、彼女が103歳の時でした。
その時に、「103歳で見えてきたものがありますか?」と、
もう一度聞いてみました。
彼女は「100歳になったときに見えたものがある」とおっしゃった。
「それは何ですか?」と聞くと、
「人間が生きて行くということの苦しみ、悩みの真実が少し見えてきた。
私の場合は100年かかった」と・・・
当時、40年そこそこの私なんて、もう圧倒されっぱなし。
その人の前に立つと、やはり子どもも子どもでした。
たわいもない会話なんですが、
彼女の生きた証そのものとでも言うでしょうか。
そんなエネルギーに満ち満ちた103歳もいらっしゃる。
だから、私たちはいたずらに歳をとっていくわけではありません。
歳を重ねながら少しずつ深まり、熟していくんです。
人間としての深まりや熟した心の諸相というものは、
ある程度の人生経験を積まなければ身につきません。
また、何も考えずに生きているようでは、
深まりも熟すこともなく終わってしまいますね。
自己を鍛練し、物ごとを考え、時には決断して、
何かを乗り越えた時に、はじめて深まり、
熟していくんです。
ですから、並大抵のことではありません。
でも、全ての人に自らの命がこと切れるその瞬間まで、
深めることが許されている。

熟していくことも許されている。
今からでも全然遅くありません。
それこそが人間の発達なのですから。
(了)