心に響く 講演・セミナー集

日常の忘れもの〜その2〜

その結果、「待つ」ことから遠ざかっていく。
「ああ、もう季節が終わったなあ。来年まで待とうね」という感覚が薄れていく。
待たなくていいから、有難味がなくなる。
有難味がなくなると、当たり前になってくる。
手に入れても、どこにでもあるような、
ありふれたものになってくるんですよ。

いちご

もちろん、それらの事実を私は非難する立場にはありません。
私だって、旬じゃない季節にイチゴを食べて、
「おいしい」と言っているほうですからね。
しかし、やはり見直したいのです、待つということを。
人間の生活の基本は、待つことにあったはず。

日本は、かつて農業国であったのにもかかわらず、
第一次産業そのものが大切にされていません。
第一次産業を衰退させる国は必ず滅びの道を歩くと思いますが、
それがわかっている人はそう多くない。
しかし、農業などは「待つ」ことが根本から問われる活動です。

笑顔で鉢植えをみつめる子ども

努力しても人知を超えたところの計らいがなければ、
人間は手も足も出ない。
すなわち、出来ることはひたすら「待つ」ことです。
待つことの持っている本質は、期待です。
これは楽しいことのはずです。
でも皆、待つことを楽しめなくなっている。

この社会が見せつけてくる
利便や効率という名の悪魔に騙されてはいけませんよ。
利便や効率、合理性や採算性に魂を売り渡したら、
それが最後、それらの虜、奴隷になってしまいます。
利便や効率は私たちが飼いならすべきもの。
合理性や採算性は単なる道具でしかありませんから。

(続きます)



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